【曝露療法】治療開始から現在に至るまで私がやってきたこと

パニック障害

パニック障害において、最も厄介な症状の1つが広場恐怖症でした。

その広場恐怖症を克服するために行ってきた曝露療法について、これまでの私の経験をご紹介していきたいと思います。

曝露療法でこれまでやってきたこと

曝露療法として行ってきたことは小さなものも含め実に様々ですが、簡単なものから始め、徐々に難易度を上げていきました。

今回は、その難易度(私の主観ですが)ごとにご紹介していきたいと思います。

難易度1:家の外に出てみる

まずは、最低レベルからのスタートです。

パニック障害の治療を始めた当初(2022年1月)は症状がとても重く、ほとんど外に出られる状態ではありませんでした。

そんな状態でも、薬が効いている間は少しだけ動けるようになったため、曝露療法の第一弾として、外の散歩から始めました。

ステップ1:夜の散歩

まず、夜の散歩からです。なぜ夜かというと、夜は暗いので人の目を気にしなくて済むからです。

人目があるとそれだけでストレスになり、すぐに発作(めまい・動悸など)が出てしまうのです。

はじめは、常に自宅が見える範囲で散歩してました。少しでも発作の恐怖があったらダッシュで家に戻れるようにです。

そして徐々に自宅から離れたところを散歩するのも慣れていき、10分〜15分くらいであれば散歩ができるようになりました。

ステップ2:昼の散歩

この段階で、今度は昼の散歩をやってみることにしました。

昼は人目があるのでそれだけで緊張してしまいました。またもや、自宅が見える範囲での散歩から始めました。

こちらも次第に慣れていき、20〜30分程度の散歩であればできるようになりました。

ただ、近所のコンビニや薬局などのお店に試しに入ってみたのですが、この段階ではまだハードルが高かったようで、入った途端に気分が悪くなり始め、慌てて外に出ました。

ステップ3:お店での買い物

昼の散歩も慣れてくると、今度はお店に入り何か買い物をするということに挑戦することにしました。

始めの2〜3回は商品をレジに持っていって会計をするだけで緊張し、動悸やめまいの症状が出ましたが、次第に慣れていきました。

しかし、1つ問題がありました。それは、商品の会計時に客がレジに並んでいる場合です。

初めてレジ待ちの場面に遭遇し、何気なく私も列に並んだのですが、急速に気分が悪くなっていきました。

なぜかと言うと、私の前にも後ろにも人が並び、私はサンドウィッチ状態になり、逃げ場所がなくなってしまったからです。

そして、私の前には3〜4人の人が待っていて、自分の会計の番があと何秒で来るのかわかりませんでした。

列に並びながら、「今発作が起きたらマズイ! 早く自分の番来てー!」とドキドキしながら待っていました。

この「逃げ場のない場面から解放されるまでの時間」が苦痛で仕方なかったのです。

結局、この時は列に並んでいる時に発作が起こりそうになって耐えられなくなり、列を抜けました。そして、レジに人がいない時を見計らって会計を済ませて帰りました。

この「列に並べない」というのは広場恐怖症の代表的な例だそうで、曝露療法として何度も試しましたが、慣れるまでに結構時間がかかりました。

難易度2:他人が周りにいる環境に慣れる

難易度1が概ねクリアできたと感じた私は、少しストレスレベルを上げた曝露療法に取り組むことにしました。

今度は、カフェや病院の待合室など、周りに人がいる状況でも発作が起きないよう耐えれるようにしようとしました。

カフェに行く

まず、先に会計を済ますタイプのカフェに行きました。これなら発作が起こったとしても、飲み物をサッと飲み干してダッシュで家に帰れます(笑)。

後で会計を行うスタイルのカフェだと、どうしても店を出る時に会計で足止めされるので、先に会計を済ますタイプの店の方が挑戦するのにストレスが少なくて済むのです。

最初にカフェに行った時は抗不安薬を飲んでから行ったので、緊張して心臓がドキドキしていましたが、発作は起こリませんでした。

病院の待合室

待合室では患者同士が近距離でソファに座っています。近距離に他人がいる中、自分が呼ばれるまであと何分なのかわからない状況です。

病院の待合室は、先程の列に並んでいた時と同じで、「逃げ場のない場面で、そこから解放されるまでの時間がわからない」状況です。

そのため、始めのうちは耐えられずに車の中で自分の番が呼ばれるのを待っていました。

結局、待合室になれるのには3ヶ月程度時間がかかりました。

難易度3:自動車に乗る

自動車に乗るのはかなり抵抗がありました。なぜなら、初めてパニック障害の症状が現れたのが車の運転中だったからです。そのため、一種のトラウマ的な感じになっていました。

結局、車の運転を克服するには4〜5ヶ月近くかかりました。

家の近所を運転

初めて運転しようとした時は、家の駐車場で車に乗っただけで緊張から動悸が出ました。

最初のうちは、信号機もなく大通りもない家の近所をグルグル運転しました。本当に最初の方はこれだけで精一杯でした。

信号機のある道の運転

続いて、信号機のある車通りが多くない道路を運転しました。

ここで、大きな課題にぶつかりました。それは赤信号です。

赤信号で止まると、そこは「逃げ場のなく、そこから解放されるまでの時間がわからない状況」となります。

赤信号なんて所詮は1分程度の待ち時間です。しかし、その1分が私にとっては途方に長く感じたのです。

赤信号で止まった瞬間からめまい・動悸が始まり、体が緊張で硬っていきました。

赤信号はかなりハードルが高かったようで、1人で克服するのは難しいと判断しました。

そこで親に助手席に乗ってもらい、信号機を克服する練習をしました。

2人だと私が運転中に万一発作で気を失っても何とかなると思ったのです。

あとは、抗不安薬の助けもあって、徐々にですが、信号も克服できるようになっていきました。

車での遠出

ある程度信号機にも慣れてきた私は、車での移動範囲を拡大していきました。

私は、車に乗ることにも抵抗がありましたが、実は、遠出することにもかなりの抵抗を感じていたのです。

なぜなら、遠出をすると万一発作が起こった時にすぐに自宅へ帰れないからです。

そう考えると緊張してしまい、症状が出やすくなってしまうのです。

案の定、車での最初の遠出では発作が起こりかけました。

普段から運転しているエリアを抜けると、急に自宅から離れていくことに対して緊張を覚え急激に体調が悪くなります。

しかし、これも何回か同じようなことを繰り返していくうちに、次第に慣れていきました。

そして、ほとんど問題なく遠出もできるようになった頃には、最初に車に乗り始めてから5ヶ月ほどが経っていました。

難易度4:電車での遠出

電車での遠出が最後の関門でした。

こちらもトラウマ的な記憶があります。2022年1月に、群馬へ戻る新幹線の中でパニック発作が起こったからです。

最初は新幹線で軽井沢に行きました。高崎駅から乗ってたった15分で着きます。

しかし結果は、危うくパニック発作が起こるところでした。

その時に結構強めに症状が出てしまい、その後数日は後遺症でめまいなどが出てしまいました。

しばらく日をあけて、今度は大宮公園に電車で行きました。

こちらは事前に抗不安薬で武装してから行ったので、電車の中ではドキドキしていたものの、問題なく帰ってこれました。

電車で遠出をする頃になると体調もかなり回復してきていたので、多少の緊張では症状も出てこなくなっていました。

その後、関西のアパートまでも新幹線で帰ることができたため、電車での遠出も克服できたかなと感じています。

最後に

自分でやりながら思ったのですが、曝露療法というのは結構エネルギーを使うなと感じました

曝露療法では1人でできることもあれば、最初は1人じゃできないこともあります。

そして無理をすると症状がぶり返し、また辛い思いをしなければならなくなります。

私も再三に渡って主治医から言われましたが、パニック障害治療中は体に無理をさせてはいけないのです。

私の場合、初めから「いついつまでに〇〇をやろう」という計画ありきで物事を進めていた節がありました。

そのため、心と体の準備がまだ十分整っていないのに、自分のキャパを超えたストレスのかかる行動をして、その結果症状がぶり返すということがちょこちょこありました。

しかし正しくは、投薬治療を続けながら体と心が十分に回復してきて、自分から「〇〇をやってみようかな」と思った段階で曝露療法を行なっていけばいいのだと今は感じています。

私のように焦って先走って行動すると、かえって治りが遅くなるので、ぜひ気を付けてみてくださいね(笑)。

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